さよなら△。また来て死角。

キラキラ輝くもの

百八円の人生


安藤サクラの体当たり演技が光る!映画『百円の恋』予告編 - YouTube

『百円の恋』を観ての感想

「百円の恋」を観てきた。噂通り凄い映画だった。精神的にも肉体的にも痛い。観ているだけで無条件にリングにあげられてぐわんぐわん殴られるような感覚だった。映画のラストは綺麗だったけれども、映画をみてから頭をめぐるのは今までずっと自分がため込んできた悔しさとか怒りとかやるせなさとか目を伏せてきた汚い感情がじわじわとこみ上げてきて、心臓が脈打つ。スクリーンに写し出されるのは自分はこんなところにいる人間ではないと思っているのに何にもできずに燻ぶっているだけの自分だったから。そんな現実を突き付けられて、私はまったく殴り返せなかった。観ている間ガンガンと殴り続けられるだけの映画だった。観ている最中ずっと痛いとしか思えなくて歯がギリギリと音を立てて削れてるのではないかというほど噛み締めていた。

改めて安藤サクラさんという女優はすごい人だと思った。だって、作りものじゃない「一子」という人間の人生がそこにはあったから。だらしない身体をむりやり収めた100均の下着を着たり、自分を捨てた男を想いながら鬼のような形相でボクシング励んでいたり、リングで殴られて白目をむいて倒れたり、役に入り込んでいるを超えてフィクションをドキュメンタリーにするほどの人間臭さがそこにあって圧倒された。そして、どんなに血が流れようと大声で泣きわめこうと誰よりも美しかった。演技たるものをまったく知らない私が、スクリーンから感じる気迫と熱量だけで涙してしまうのだからそれこそを才能と呼ぶのだろうなと感じた。「百円の恋」は安藤サクラという女優でなくては絶対にここまでの映画にならなかったと私の他にも何億回と繰り返された言葉を私もここで繰り返すことしかできない。考えるな感じろということを今一番体感させてくれる女優さんだと思うし、人間的にも表現者としても憧れ尊敬している。安藤サクラさんはいつでも世界と身体ひとつで闘っている人だと思っていて私もそうなりたい。

ど派手なアクションシーンやCGがあるわけでもなくただ淡々とどこにでもある生活を切り取っているだけの映画がこんなにもガンガンと心を揺れ動かすのは画面からにじみ出る等身大の悔しさを知っているからだと思う。年上だというだけで他は何も取り柄がない先輩、行き場がないからとりあえず行くコンビニ、慣れてしまえばなんてことないけれどとくにやりがいもなくただ生きていくために続けているバイト、どうしようもない怒りにまかせて買い込んだ百均のお菓子、悔しさの代わりに呑みこんでいくチューハイの味。どれもこれも全部知っている。値踏みされて妥協で選ばれるだけの日々で本当の敵は愛想笑いで誤魔化してばかりの自分だ。理不尽にぶつけられた言葉の中には正解もあってそれを認めたくなくて逃げているだけだ。だから仮想敵を作って怒りを空回りさせて後ろにも前にも進めず幸も不幸も感じることなくただ漠然とすごしている。リングに上がることさえもできず、リングでの闘いをただ傍観しながらその外でぐだぐだと文句を垂れて逃げていくことで時間を浪費して歳を喰って焦りだけが募っていく。自分は何にもない人間ではなくて、抱え込みすぎて身動きがとれなくてなっているだけなのだという実感がこみ上げる。殴りたいと思って拳を握っても、守りたいものが多すぎて悩んでいるうちに殴りたい相手は去っていって二度と会えない距離までいってしまって、そこには解かれた拳と私と悔しさだけが取り残される。そんな毎日が繰り返されて自尊心だけが誇大化した化け物になってしまった。

普通に幸せになるということが一番難しいのかもしれない。

変わっていく毎日で変わらないということがどれだけのことか考えるだけで立ちくらみがしそうだ。映画にはドラマチックさを望んで、自分には何にもない平穏な毎日を望んでいる。輝きを得るということはそれ相当の対価を払うことだ。喜びがあって悲しみがある、愛されながら憎まれているそんな当たり前だけど浮き沈みのあるバイオリズムに巻き込まれるのに疲れてしまった。かつてはつまんないと笑って切り捨てた選択肢が今は恋しくてしょうがない。平行線になれないまま曲がりくねってどこにいくかもわからない人生はもうやり直しができないところまできてしまった。「百円の恋」は青春映画だと思う。ただ終わりのある青春を生きる映画ではなく終わってしまった青春にリターンマッチする映画だと感じる。戻れない日々が嘆くよりも、今自分をバカにしたり見下したりしている奴らと闘うことで何かを取り戻そうとしている。当たった拳よりも空を切り手ごたえのなく消えた拳の方が多いけれども、だからこそどんなことがあっても殴りたいという気持ちだけは忘れてはならない。黙っていたら腐っていくだけの身体とただ呼吸をするだけの日々に戻らないようにするにはがむしゃらでもいいから世界に噛みついていくしかない。一瞬見えた光のために人生賭けるなんて他人からすれば馬鹿でどうしようもないかもしれないけれど、それでもそれに縋っていくしかもう道がない。負けるということは同時に過去の自分に勝つことだと思う。居場所がないなら自分で作らなきゃダメで、それが生きていくということなんだなと実感した。痛いと思うことは生きているということなんだと。

サクセスストーリーというのはめったにないからサクセスストーリーなわけでその裏には無数の物語にもなれなかった残骸が散らばっている。努力をしてもそれを簡単に破られてしまう。変われたと思えてもそれは勘違いだったり、たかだか一歩二歩進んだだけなのかもしれない。世界は私がいなくても回っていて、少しばかり頑張ったくらいでは変えられない。いつもいつもハッピーエンドから一番遠いところにいる。幸せにはなれないとしても現状よりはましなところにいけるだけでもいい。変わったといっても、億万長者になりましたとかそんなたいそうなものではなくて最初は蚊の飛ぶ音より小さかった声がバイトを続けていくうちに大きくなったとか、少しは自然に笑えるようになったとか自分の好きな人とたわいもない話をできたとか人からすればどうでもいいことだけれども私からすれば大きなことで、でもやっぱり世界からしたらミリ単位ですらないことだ。自分が数カ月でできるようになったことを後から来た人が追い抜かしていっていとも簡単にやり遂げる姿を見てしまうと自分は生きている価値なんてないのではないかと思ってしまうことは数え切れないくらいある。でも、生きる理由もないけど死ぬほどの理由もない。だから死に遅れた私はこうしてすり減っていく365日を繰り返してここまで生きながらえている。

リングの外で観る試合とリングの中でする試合は違くて、外から観たら野次を飛ばして弱者を嘲笑するだけのつまらない試合もリングの中に入るとそこには暴力が正当化されて10カウントで価値を決められてしまうリアルだけがある。しかし、殴られてもリングの中はどこよりも優しい世界だと思う。終わってしまえば抱きあってお互いの存在を認め合う。なんで私が舐められるか理由がわかった。私がまだリングに立っていないからだ。闘うということから逃げているからだ。闘わない者には世界はどこまでも残酷で冷たい。自分が何にもないことがわかるのが怖いから努力をしないことを自分が幸せになれない理由にしているのだ。恋愛も、夢も、勉強もどこでも負け犬扱いされるのは試合する前に棄権してしまっているから。闘った者だけが世界とフェアプレイになれる資格がある。新井浩文氏演じる狩野も最初は一子のことを妥協で選んでどこか下に見ていたけれども、一度一子の元から去ってまた戻ってきたのは一子がボクサーとしてリングに上がる覚悟をしたからだ。試合後に狩野が初めて一子の名前を呼んだのは狩野は男である前に勝ちも負けもどっちの味もしっているボクサーであって、一子をボクサーとして、そして自分の女として隣に立つことを認めたのだと思う。自分のために簡単に女を切り捨ててきた狩野が試合後の一子のことは簡単に抱き締めずに手を握って歩み出すラストシーンで、世界は一子は見下されてきた人生で初めてフェアプレイすることができたと感じて涙が出た。

映画を観てから数日たっても私の中に血液と一緒に今までずっと身体の中に蓄積されていた悔しさが駆け巡ってる。都会がどこよりも眩しく輝いているのは才能のない人間が腐るほどいるからで、私という人間はもはやこの街ではLEDより価値がないのだ。ピンクチラシが無造作に張られた汚い街で価格サイトで最安値を更新している女としてただ一時的な寂しさを埋めるためだけに声をかけられるそんな人生。誰も目を合わせてくれないし、会話はどこかちぐはぐでかみ合わない。嫌いな食べものも好きな音楽も最近観た面白い映画の話も私にとって大事なことは明日には全て忘れられていて、また今日がきたら同じ話を繰り返すことが当たり前になってしまった。これでいいのだ、と言い聞かせても自分に値段をつけたら税込でいくらだろうとぐるぐる考える日々を過ごしていくうちに、目だけは行き場のない怒りでギラギラと光る化け物になってしまった。今に見ていろよ、と誰に向けてでもない一握りの野心も空振りして世界との境界線に溶けてなかったことにされてしまう。私の涙に一円の価値もないこともわかっているけれどどうしようもなく泣いてしまう時もある。ダサくてかっこわるいことも全部わかってるけど、生きてのびてしまったからしょうがない。見下されてる自分。理解されない趣味。半笑いで馬鹿にされる好きな人。一度は他人に大きく汚いバツをつけられてしまった大切なものを正解にするためだけに生きていこうと決意した。これからはもう握った拳はほどかない。邪魔するやつは全員殴ってやると決めた。どうせ死ぬのに何を怯える必要があるのだろう。今度は世界とちゃんとフェアプレイでリベンジマッチしたい。

(2014年過去の感想ブログより)