さよなら△。また来て死角。

キラキラ輝くもの

暫定 愛しています

溢れる想いを吐き出していかないと死んでしまいそうという気持ちでこんなものをはじめてしまった。

松田龍平が好きだ。

言葉にすれば一行で済むほど単純で拍子抜けする。けれど、今の私の身体の細胞は子の感情で支配されているといっても過言ではない。好きすぎてフルネームで呼ぶことしかできない。敬称がみつからないのだ。年上の男性をちゃん付けするのははばかれるし、さん付けは遠くなってしまう気がする。かといってあだ名をつけるというのは失礼な気がして迷った挙句の正式名称になった。

 

きっかけは他人からすればどうでもいいくらい単純なもので、それで私の人生がここまで変わるとは思ってなかった。その時私は大学に入って楽しくてしょうがない毎日がまっているはずだった。けれど、最初こそ順調に滑り出したものの現実はそんな甘くなくてかみ合わない会話と上滑りする愛想笑いの連続で居場所もなくすっかり周りの人から離れたところで思い描いていた楽しい生活を眺めるだけの傍観者になってしまっていた。楽しさを演じて学校と家を往復するだけの単調な毎日の中で疲れて眠るだけの身体は生きていても無駄としか思えなかった。そんなある日になんとなくぼんやり観ていたロードショーで『探偵はBARにいる』がやっていて、とくにすることもなかったのでそのまま観ていたらすごく面白くて、その後やっていたCМでもうすぐ2が公開されるということを知ってたまらず近所の映画館を探して友達と一緒に観に行った。2も同じように面白くて、久々に楽しかったと思えた。観てからはどうしようもなく高田という役が気になってしまって、そこからたどっていって松田龍平という人がやっているのかとその時知った。そこから先はあんまり覚えていなくて、興味本位に借りたDVDは観ていくたびに松田龍平という人間をもっと観たい、知りたいと思わせて流行りのCDだけを借りるために行っていたTSUTAYAに通うことが日常になって、毎日松田龍平という文字を入力して検索して、関係する雑誌や本を買いあさり今まで買ったことのなかったDVDBOXまで頼んでいた。気が付いたら、松田龍平に浸食されていた毎日はとにかく日に日に加速度を増していくばかりで不幸なふりをして悲しんでいる暇さえなかった。恋も愛も落ちるというものではなくて蝕まれていくものだと体感した。

演技もなにも分からない私が松田龍平が静かな低音で吐く台詞、ころころ変わる表情や瞳だけで感情を語ってしまう演技に笑ったり泣いたりするようになって一番驚いたのは自分自身だった。こんなに自分の中にはいろんな感情があるということに気が付いてびっくりした。松田龍平を好きになってから私は今までよりだいぶ人間になれた気がした。苦しかったときのことはあんまり覚えていなくて、ただただ日々がすぎていっただけな気がする。ただいつも楽しかったときには松田龍平がいて、それだけで十分だなと都合のいいところだけ思い出して生きていければいいやって思えた。松田龍平は死にそうな私が生きるために掴んだ蜘蛛の糸だった。個人的に一番変わらなくちゃだめだというきっかけをくれたのは『蟹工船』という作品で松田龍平演じる新庄が不幸になれてしまった仲間たちを奮い立たせるために「俺たちの最大の弱点は慣れだ」「俺たち一人ひとりが本気で考え、一人ひとりの意志で立ち上がらなければ何も変わっていかない!!」と演説するシーンで泣いてしまった。流れた涙は決して感動とか綺麗なものではなくて、何もしないで嘆いているばかりの自分に対する悔しさがあふれ出た結果だったと思う。それは私が今まで避けてきた真っ直ぐで誰もが分かっている言葉で内心馬鹿にしてきて、そんな言葉を言う人を理想論だと冷やかな目でみてきた。けれど、松田龍平というフィルターを通してみるとそんな馬鹿げた言葉もすっと私の中に入ってきて鋭いナイフで一番痛いところをえぐりとるような衝撃をもたらした。観終わった後に「俺たちは生きているんだ!」と叫んだ松田龍平が頭の中で何度もリピートして「そうだ、私は生きているんだ」ということを思い出した。不幸に慣れてしまった私は生きることも死ぬことも放棄して人間さえもやめようとしていた。他人からしたらどうでもいいことかもしれないけど、もう一度生きようと思えて、フィクションからノンフィクションさえも編集してしまう松田龍平という人間に出会えて本当によかったと思えた。大げさではなく人生を変えてくれた人だと思う。

今年に入ってから、生まれて初めて映画の舞台挨拶に行ってきた。眠たい目をこすりながらコンビニで何度も松田龍平に実際に会いたいという一心でチケット販売機のボタンを連打して格闘しながらチケットが取れてときは小さくガッツポーズをするくらい嬉しかった。けれども、同時に不安だった。失礼なことだけれども、私の中で勝手に作りだした松田龍平という人物が生きている松田龍平という存在と食い違っていて幻滅してしまったらどうしようという気持ちがあった。また生きる理由をなくしてしまったらどうしようと。松田龍平のいなかった頃のなんもない自分に逆戻りと思うと怖くてしかたがなかった。それだったら一生ユートピアのままであったほうがいいのでいてくれた方が幸せかもしれないとすら思った。

けれどもそんな心配なんてぶっ飛ぶくらいに松田龍平松田龍平だった。

小さな劇場で一瞬だけ横を松田龍平が通った時に生まれて初めて自分の耳の裏から血液が流れ出して脊髄を通って心臓に到達して鼓動が鳴る音を聴いた。全身がドクドクと波打って言葉なんてもういらないと思った。今までスクリーンでしか聴いたことのなかった低音、すらりと伸びて組まれた脚、マイクを持つ彫刻のような手を肉眼で耳で拾い集めて身体中のありとあらゆる五感が松田龍平に満たされていく幸福感は私が生きてきた年数で体験してきた全ての幸せを合わせても足りないくらいだった。既婚者だとか子供がいるとかは些細なことで、結婚したい、恋人になりたい、そんな願望で言えるほど簡単なものではなくて気が付いたのは、ああ、私はこの人になりたかったのだということだった。どうしようもなく愛される才能がないことに気が付いた私は、愛されるために生まれてきた人を好きになるのはこの世の真理だ。クールに見えてふとした時に零れる笑顔の可愛さとか、喉仏だけ上下させて静かに笑う癖だとか、相手を自分のペースに巻き込みながらもちゃんとさりげない優しさで守ってくれているところだとか短い時間でもそういう彼の歩んできた人生のダイジェストが垣間見えて本当にこの人を好きになってよかったなと心の底から思えたし、少し失礼なことを想ってしまったことを反省した。夢のような時間が終わったあとは、ふらふらとしながら電車に乗って席に座って今日という日を忘れないためにと買った映画のパンフレットを抱えながら少し泣いてしまった。上気した頬も車内の聞きすぎた暖房のせいか興奮のせいかすらもわからなくなっていた。松田龍平にとって私はたくさんいる中の一人でその存在すら気が付いてないのかもしれないけれど、私にとって全てであった。だから、存在と時間と空間を共有できて今までどうあがいても平行線だった人生がほんの一瞬でも交わったことがどうしようもなく嬉しくて耐えきれなかった。もしかしたら、普通のサラリーマンになって結婚して幸せになるという人生もあったかもしれないのに、演技もしたこともないただのサッカー少年だった松田龍平が偉大な俳優であり父である松田優作さんの肩書きを背負ってまで俳優という選択肢を選んでくれたことと15年という長い間荒波のような世界で続けてきてくれたことを考えると全てが天文学的な確率で奇跡以外の言葉が見つからなくて、ありがとうとしか言えなくなってしまう。私は松田龍平という俳優が過ごしてきた15年のうちたった2年程度しか共有してないけれど、それでも十分に伝わるくらいに映画という中に自分の人生を残しておいてくれて感謝しかない。たった一人のものになっていたかもしれないたくさんの喜怒哀楽を作りものだとしても本当だと信じさせてくれるようなリアルに変換していつでも見ることできる今という幸せを噛み締めながら生きている。ただ、一度だけ会えればいいと思っていたのは間違えで、また会いたいと思ってしまった。自分が思ったより欲深いことに気付いてまた人間に一歩近づけた気がする。心の中で勝手に決めたいつかありがとうというという約束はまた生きる理由を増やした。

 

松田龍平を好きになってから人に「変わったね」といい意味で言われることが増えた気がする。これまでの私はなんとなく受験して、なんとなく相槌をうって、なんとなく大学生になったようなふらふらとして他人の顔色で人生の正解をカンニングして生きている自分というものをもたないぼんやりとした生き物だった。でも、松田龍平に出会ってから自分がいかに彼の素晴らしさを語る言葉をもたないことに絶望して、このままじゃだめだと思って文章にしたり、今までより感情を表すことが多くなったと思う。何にも語ることすらできなかった自分に唯一松田龍平が好きだと断定できる気持ちがあることが今はどうしようもなく嬉しい。松田龍平に出会ってから私は前より自分が好きになれた気がする。自分が今までしらなかったことや逃げていたことは案外楽しいことだと思えることになったし、どんなに孤独でもひとりではないと気がつけた。それでもまだまだ年齢と大人という称号にふさわしくなくてこれから頑張らなくてはいけないけれど、家と学校の往復だった毎日に寄り道という楽しみが増えたし、今までは全然知らなかった街を迷いながら映画館にいったり、邪魔だった前髪を少しだけ切ったり、ご飯がおいしく思えたり、松田龍平っぽいってだけで反射的に買ってしまったお気に入りの服ができたり、メイクも少し上手くなった。たったそれだけのことでも、モノクロだった世界に色があるのだと気づくには十分で、世界は自分が思っているよりも面白いってわかった。松田龍平に出会わなかったら、またこれからもなんとなく社会人になって結婚してという流れるようにテンプレートな人生を送って幸せだと思いこみながら生きているつまらない人生になっていただろうなと思うとぞっとする。だから、ようやっと言葉を喋れるようになったことが嬉しい。曖昧な想いは形にしようとするほど詩的になっていき、綺麗にしようとするほど散文となって散らばっていく。それはかつて私が嘲笑した愛を叫ぶという行為で自分で自分を袋小路に追い込んでしまった。しかし、他人にどんなに蔑まれようとも伝えていかなくてはいけない。悲しいことに分析したり批評できるほどの頭をもっていない。残留する想いは濁りにかわっていく。この煌びやかな世界もいつかは朽ちて、私の眼もまた腐って死んでいってしまうのだろうかと考えるとただ恐ろしくて、自分が生きた証を少しでも残さなくてはという衝動に駆られた。私の身体にかかる重力は私の吐く言葉には関係なくて、それなのに愛が重いというのはなんとも自意識過剰なことだろうと思う。春は突然やってきて、私に修羅ももたらした。寝ても覚めても思い浮かぶのは松田龍平のことだけで他に何をしていたか思い出せない。恋というにも愛というにもしっくりこない。ただ毎日名前もつかない感情が微粒子となり喉の奥までつかっかるほどに満たされていく。今の私にはただ、愛してますとしかいえない。それしか表現できないのが恥ずかしい。与えられた言葉でしか想いを形にできない自分がもどかしい。本当はもっと深くて淡くて柔らかいものなのに、どぎつく派手なテンプレートであてはめることしかできないのだ。全ての感情が暫定である。ただ生きているという事実だけが日に日に濃くなっていった。

 

 自分だけが一方的に好きで、叶わないと言うのもおこがましいくらいにはるか遠くにいてこれから先話せるかも触れられるかもわからない人間の一挙一動に笑って涙して怒ってはたからみたらただの馬鹿じゃないですか。でも人生って少し狂ってるくらいがちょうどよくてやっぱり楽しいです。たとえこの先、私の名前も存在も彼の脳髄の一滴も満たせず、体温も知らないまま死んでいくとしてもこの喜びを教えてくれただけでかまわないと思えるくらいに最愛です。

 

貴方に出会えて私の地獄は色を取り戻し、楽しくなりました。

 

意地と憧れだけでやっと立っている状態で言うのはおこがましいにもほどがあるけれど、私と私が好きになった全ての存在を正解にするだけが今生きている理由です。馬鹿にされることも気持ち悪いという言葉ももう気にならなくなりました。振り替えってみてたまに戻りたいと思うことはあるけれど、そんなのはどうでもいいくらいに今生きているのが幸せで楽しいです。好きでいてくれることを許してくれてありがとうございます。これからもそんな優しさに甘えて、殴られて当然くらいの歪んだ形をした愛を勝手に綴って勝手に生きて勝手に死んでいこうと思います。今は暫定的に愛してますとしか言えないけれど、もっとふさわしい言葉を見つけるためだけに生きていきます。だから、これからも憧れでいることを許してください。そしていつまであるはずのない永遠の中にいると勘違いさせてください。少しでも松田龍平という人間に近づくことが私の生きる意味です。


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